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8号線沿い宗盛塚
2012/09/04(Tue)
252.jpg
これが国道8号沿い、ほとんど竜王町に近い野洲町(野洲市か?)の外れ、大篠原というところにある平宗盛、その子清宗の胴体塚です。
胴体塚というのは、首は刎ねられて、京都三条河原にさらされたと言われているからです。
胴体だけ、この地に葬られたということです。

平宗盛というのは、清盛の嫡男・重盛が早死にしたたため、清盛亡きあとは平家軍の頭領として、一の谷・屋島・壇ノ浦を戦った人間です。
特に壇ノ浦では、清盛の妻・時子(当時“二位の尼”と呼ばれていた、いま大河ドラマで深キョンがやっています)とその孫・安徳天皇が入水し、弟知盛が「見るべきものは見つ」という名言を残して、遺体が源氏に見つからないようイカリを胴体にくくりつけて入水したという伝説が残る中、源氏にすくい上げられ、鎌倉の頼朝のもとまで送られ、「京都に送り返せ」という頼朝の命に「ひょっとして助かるかも」と願望をもったと言われている。
“懦弱者(だじゃくしゃ)”宗盛ともあだ名されていて、臆病者のイメージがつきまとっているが、だがしかし、実際はどうだったかは分からない。
「平家物語」というのは、ほとんど脚色で塗り固められているからね。

とにかく、言いたいことは、この宗盛塚が国道8号から藪の中を分け入った奥にあり、もちろん訪ねている人などもなく、線香の跡もあるが、ジュースの空き缶や菓子袋のゴミなんかも散らばっていて、うすら寂しい、どうかしたらおどろおどろしい、ほんとに見捨てられた塚という感じだということだ。
いまの大河ドラマ「清盛」は平家の善人ぶりばかりが強調されているが、少なくとも、平家文学は「落ちぶれ、朽ち果ててこそ平家」だ。
そういう意味で、この塚は訪ねてみる価値はある。

ただ短パンで行っちゃダメ。
トレセン坂路で蚊に襲われたうえ、宗盛塚でも「平家の怨念、思い知ったか」と言いながら、平家びいきのヤブ蚊が大量に攻めてきた。
247.jpg
これが、国道8号に面した宗盛親子塚の案内板だ。
こんなゴミゴミした所から、隣の工場の塀との間の、藪の中の細い道を100メートルぐらい通っていかないといけない。

「平家物語」には「篠原宿で討たれた」とあり、それは歌枕にもなっている「野路の篠原」、すなわちこの竜王町に近い野洲の東橋「篠原」だろうということになっているが、「野路」は「野の中の」という意味、「篠原」は篠竹の生い茂るという意味で、この野洲の地であるとは即断しづらいところもある。
また鎌倉から義経に護送されて、東海道三河のあたりも通ったと記録されている者たちが、なぜ中山道に入ったのかという問題もある。

そこで異説も生まれる。
下の地図の「他説・宗盛塚」と書いた、いまのちょうどJR南草津駅あたり、競馬関係者も多く住むマンション街一体が「野路」と呼ばれていて、「野路の篠原」はこっちだと主張する人たちもいる。
こっちだと、東海道と中山道が合流したあとで、残るは京都へ向かうだけという地点だから、道中経路としては辻褄が合う。

南草津駅前、ちょうど南草津病院の前にも「宗盛塚」があるらしく、今度はトレセンの帰りに、そっちに寄ってみようと思っている。
ただ、こちらは近くに立命館やら滋賀医大やらもある、とにかく開発しつくされた場所なので、朽ち果ててあるべき「平家終焉の地」としては、こっちの野洲のはずれの方が雰囲気はあると思うが。
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